ルポ 貧困大国アメリカ

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 ルポ 貧困大国アメリカ

 堤 未果 著 
 岩波書店
 2008年1月22日 初版(10版)
 700円(税抜き)
 岩波新書

 おそらく、この本は今年(2008年)上半期(1~6月)のノンフィクション界におけるベストセラーに違いない。個人的に、そう確信させるだけのデーターと説得力を持った本である。
 
 2001年に発足したブッシュ政権は、「市場のことは市場に聞け。市場に聞けばなんでも解決できる」という、経済学者ミルトン・フリードマンが提唱する「新自由主義経済政策」に基づき、教育・医療などありとあらゆる分野において競争原理を導入した。彼等の頭の中には「市場経済を活性化させれば、優秀なサービスが生き残る」という考えがあったに相違ない。だがそれらの政策は「勝ち組」はますます栄え、「負け組」は食うや食わずの状況という、有史始まって以来の格差を生み出してしまった。
 激烈な「優勝劣敗」の論理が行き着くところまで行き着いた状態、それが今のアメリカである。
 まず教育。
 義務教育への補助金を削った結果、公立学校の給食はハンバーガーに代表されるファーストフードが中心になって野菜がほとんど提供されなくなった結果、肥満に苦しむ児童が増加した。それらの多くは貧困に苦しむ家庭の子で、彼らの親はわが子に栄養十分な食事を提供できない。頼みの綱の学校給食も、予算削減のあおりを受けて上記のような食事しか供給できず、結果として肥満の再生産を生み出している。しかも、学校給食をビジネスチャンスとみなし、市場参入を虎視眈々と狙っているファーストフードチェーンもあるというから穏やかではない。
 全米各地で実施されている「肥満キャンペーン」は、もうお笑いでしかない。肥満を解消するには、児童の生活環境を改善しなくてはいけないのにそれには手をつけず、体操しましょう、ミルクを飲みましょうという見当違いのキャンペーンを喧伝している。肥満対策に奔走する看護婦は「炭酸飲料が大好きで、体育館の近所には子供たちの大好きなスナック菓子が並んで待っている児童が、体操したりミルクを飲んだりするわけがない」と冷ややかに言い放った。
 「貧乏」という境遇から脱出するためには、高い学歴が必要だ。だが「なんでもカネ」のアメリカにおいては、大学への学資が高い壁になって立ちふさがる。軍隊は貧困層をターゲットにして「軍隊で一定期間軍務に服すれば、大学への入学金や奨学金を用意してやる」とささやく。貧乏人はその言葉を信じて軍隊に入隊するが、彼らを待っているのは「絶望」の2文字。訓練で猛烈にしごかれ、指導教官からあらんばかりの悪口罵詈雑言を浴びせられ、精神を病んでいく新兵たち。映画「フルメタルジャケット」や「愛と青春の旅立ち」をご覧になった方なら、新兵教育がどんなものなのかお分かりだろう。
 運よく軍務を終えても、大学にいけるとは限らない。郡から奨学金を得るには一定の金額を軍に払わなければならず、その金額は新兵の給料では払えない。隠して貧困層は、永遠に貧困層から脱出できない。
 上官のしごきに耐え、軍資金をもらい、大学に入ったとしても、今度は「就職」という壁にぶつかる。卒業しても、働き先が見つからないのは、今の日本とよく似ている。頼みの「奨学金」ですら、アメリカでは「ローン形式」になっているから、就職先がない=即ホームレスを意味する。ローン返済のために、短期の仕事やアルバイト、派遣で糊口をしのぐことになるが、派遣先では「古い順から3つまでの職歴は消せ」と指導される。そうでないと、仕事にありつくことも困難だからだ。
 社会を支える医療と保険も、「新自由主義」に影響されてとんでもないことになっている。前者では過剰ともいえるノルマ主義のせいで、心身とも疲れ果てた医療従事者の退職が相次ぎ、後任者の補充もままならない。後者にいたっては、何か事が起こっても保険金は規定どおりに支給されず、クレームの電話は次々にたらいまわしされ、被保険者があきらめるのを待つのが当たり前。日本でも年金改革や医療保険の改革が叫ばれているが、アメリカの医療関係者は「日本の国民皆保険制度は世界でも最高のシステムなのに、なぜアメリカの制度を導入したがるのか?」と不思議がっているそうだ。
 今世界中を恐怖のどん底に落としている「サプライムローン」。これは貧困層を狙うビジネスの中でも、最低最悪なものだ。満足に英語の読み書きもできない移民層に、言葉巧みに「あなたもわずかな支払いでマイホームをもてます」と契約を持ちかける。嬉々として契約書にサインする彼らを待ち受けているのは、馬鹿高いローンの支払い。l最初の数年間こそ利率は低いが、その期間を過ぎたら利率は貧困層の支払い限度を超えるほどに上がる。識字率の低い人たちにこんなローンを売りつけたらどうなるのか、結果はわかっていたはずだ。ローン業者は目先の儲けほしさで、悪魔に魂を売った。
 金がないやつは国家の役に立たない、国家の役に立たない貧乏人は死んでしまえ、そんな風潮にあふれているのが今のアメリカである。実際、ニューオーリンズの大水害の犠牲者のほとんどは、移動手段もろくにない貧困層だった。「国民の安全を守る」という国家の最低限の仕事の範疇にも「市場原理」を導入したのが原因である。
 劣悪な環境を改善するのが政治・政府の仕事なのに、強者は「自己責任」の一言で彼ら貧困層の劣悪な環境を省みず、「アメリカン・ドリーム」といわれる成功者の多くもまた、貧困層の救済に立ち上がることは多くない。市民たちは貧困者救済に立ち上がっているが、議会が彼らの声にこたえることはない。今のアメリカ連邦議会議員の多くは、大企業から献金を受け、大企業の代弁者に成り下がっているからだと指摘する人もいる。
 この本を見て「これはアメリカの一部分だけでおきていることだ」というのは簡単だ。だがこれらの現象を「一部」と割り切っていいのだろうか?人は、生まれてくる環境は選べない。生まれながらに、劣悪な環境で生きざるを得ない人たちはこの世に多く存在する。
 「アメリカの現在は日本の10年後」といわれて久しいが、今の日本に格差問題を食い止めるだけのエネルギーを持っている集団がいるのかと、私はやや懐疑的な目で見ている。しかし、だからといって「座して死を待つ」のは最低である。
 ほんのわずかでもいい。自分より弱い立場の人間を思いやる気持ちを持つこと。
 今の日本人に求められているのは、まさにそれではないだろうか。
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